忍者ブログ

このブログは,大学・高校受験,資格試験の受験,勉強法,使用参考書,予備校,塾での指導などについて綴ったものである。また,さまざまな箇所からの役に立つと思われる情報もあつめている。

[1] [2]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2024/05/06(Mon)02:47:23

人種

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
トマス・ハクスリーによる人種の地理的分布 (1870年)

██ 1. BUSHMEN(ブッシュマン

██ 2. NEGROES(ネグロイド

██ 3. NEGRITOS(ネグリト

██ 4. MELANOCHROI

██ 5. AUSTRALIOIDS(オーストラロイド

██ 6. XANTHOCHROI(北方人種

██ 7. POLYNESIANS(ポリネシアン)

██ 8. MONGOLOIDS-A(モンゴロイドA)

██ 8. MONGOLOIDS-B(モンゴロイドB)

██ 8. MONGOLOIDS-C(モンゴロイドC)

██ 9. ESQUIMAUX(エスキモー

THE BARS INDICATE A MIXTURE OF THE RACES REPRESENTED BY THE RESPECTIVE COLORS

人種(じんしゅ)とは、形質的特徴などによってヒト属分類したもの。

生物学および自然人類学においては、ヒト属をホモ・サピエンス(現生人類)、ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)、ホモ・エレクトス・ペキネンシス(北京原人)などに分類する。その場合にはヒト属のとしてのホモ・サピエンスをさしてヒト種という。すなわち、ホモ・サピエンス種以外のヒト属の種が絶滅した現在の地球では、現生人類はホモ・サピエンス種の1属1種のみである。

生物学な概念・議論と同時に現生人類(ホモ・サピエンス)を様々な理由から細分化し、そのようにして細分化された集団を「人種」と呼ぶ用法も根強い。本項ではこのような通俗的な用法における人種概念をカギカッコをつけて「人種」と表記し、自然科学的な意味での人種概念と区別して記述する。

学説史 [編集]

「人種 (race)」という語は植民地交易時代に西欧人が異国人と接触するなか発明され使用されていった。とくに奴隷貿易においてアフリカ人らを人身売買する過程で、分類および認識が求められた。17世紀にはフランソワ・ベルニエが『人種による新大地分割論』(1684)を出版し、人間を「人種」によって分類することを論じている。

ブルーメンバッハ [編集]

学説史的にはドイツの医師ヨハン・フリードリッヒ・ブルーメンバッハ (Johann Friedrich Blumenbach, 1752-1840) による分類が「人種」理論の嚆矢とされている。ブルーメンバッハは1775年にゲッティンゲン大学に提出した論文 De generis humani varietate nativa (ヒトの自然的変種)において頭蓋骨の比較研究などを基礎に、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)の5種に分類した。

ブルーメンバッハの分類方法および定義の特徴は、ユダヤ=キリスト教的文化および当時のヨーロッパ人の伝統に強く影響を受けていることにある。たとえばコーカシアという定義は、旧約聖書でノアの箱舟が辿り着いたとされる中央アジアのコーカサス地方を命名の由来としており、実際のヨーロッパ人の居住地域や特徴とは関係のない定義である。また、モンゴリカという定義も単なる「モンゴル人」という意味であり、当時のヨーロッパ人に知られていたモンゴル帝国の人々を表しているに過ぎない。

初期の人類学が成立したこの時代のヨーロッパは、未だユダヤ=キリスト教的文化の伝統に支配されていた時代であった。この時代、『創世記』のノアの箱舟が辿り着いたとされたアララト山がある中央アジアのコーカサス地方は、アルメニア教会などにとっては聖地とされており、且つ旧約聖書の創世記1~6章では、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた。このことから、当時の人類学を主導したヨーロッパ人は自分たちを「ノアの箱舟で、コーカサス地方に辿り着いた人々の子孫で、善である白い人」という趣旨で、自らをコーカソイドと定義した[1]

実際ブルーメンバッハは、さまざまな人間集団のなかで「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しくすべての人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと定義している。このような宗教的影響から、現在は同じコーカソイドに分類される、イタリアなど南欧圏に居住するキリスト教徒は白人、トルコ及びパレスチナ地方など中近東に居住する異教徒のイスラム教徒(ムスリム)は有色人種と規定するなど、現在の人類学的レベルで判断すると非合理的かつ恣意的な分類概念となっている[2]

1813年にはブルーメンバッハの影響下でジェイムズ・C・プリチャード (James Cowles Prichard, 1786-1848) が『人類の自然史』を出版し、ウィリアム・ロレンス (William Lawrence) とウィリアム・ウェルズ(William Charles Wells)とともに人間の進化論を展開した。ただし、プリチャードらはあくまで自然科学者であり、たとえば「人類の原型は黒人種であることを示す多くのデータがある」とも述べている。ブルーメンバッハの影響を受けた他の学者にはトマス・ヘンリー・ハクスリー(1825-1895)やウィリアム・フラワー(1831-1899)などがいる。

キュヴィエ [編集]

ブルーメンバッハの五大分類や、アンドレ・デュメリルが『動物哲学』で主張した六大分類など、最初期の人種分類はその種類が明確に定義されていなかった。しかし次第にこうした分類についての意見は、パリ大学学長のジョルジュ・キュヴィエが自著『動物界』で提示した「ネグロイド・コーカソイド・モンゴロイド」の三大分類法が主流となり始める。モンゴロイドは領土こそ幾度か広げるものの文明の程度は低く、ネグロイドは野蛮人の集団で、コーカソイドは世界の文明を支えてきた存在とする、白人至上主義を一層に強くしたこの思想はヨーロッパで広く受け入れられた。その背景には、キリスト教聖書に登場するノアに三人の息子が居たとする記述に合致していたからだとも言われている。

一方でキュヴィエは今日においてすらしばしば白人主義者の間で議論になる、アラブ人の分類に関して彼らを白人に含めている。完全に同格に扱った訳ではなく、白人は更に欧州系と中東系に分類が可能で、前者は科学文明を創出した偉大な種族としながら後者はそこから退化した、言わば「不出来な弟」と考えていた。しかしそれでもこの時点ではヨーロッパ人の学者達はアラブ人と自らが同じ起源を持つ同胞である事を積極的に肯定する向きがあった。しかし時代を下るにつれてフランスなどが中東地方を植民地化すると、徐々にアラブ人を侮蔑する記述や研究が増えていった。1889年のフランスの新聞「ル・プチ・ジュルナール」に掲載された人種画では、アラブ人があからさまに黒人と同じ風貌で描かれている。

ダーウィニズム [編集]

チャールズ・ダーウィンは有名な『種の起源』を発表したのちの1871年に『人間の由来と性選択』を発表する。環境変化に強い部族によって弱い部族は置き換えられること、イギリスのような文明化された国民によって、野蛮な部族が破壊されるなどの記述を含む自然淘汰(自然選択)の理論は、普及の過程で社会ダーウィニズムを産み、「人種」差別主義の根拠とされた。ただし、ダーウィン自身は「人種」間の生物学的な差異は非常に小さいとし、また奴隷制度には反対していた。

優生学 [編集]

ダーウィンの従兄である統計学者フランシス・ゴルトン(1822-1911)は1883年に優生学という言葉を初めて用い、1869年には『遺伝的天才』を発表。家畜の品種改良と同様に人も人為選択によって社会が進化すると考えた。またアルチュール・ド・ゴビノーは『人種不平等論』(1855)を執筆している。

優生学や進化論を極端なまでに政治的に利用した事例としてはナチズムがある。ナチスは優生学に基づき障害者を虐殺している。優生学的観点は近年まで日本の優生保護法にも反映されており、またスウェーデンでも犯罪者に断種手術を施すこともあった。

20世紀後半の定説 [編集]

「人種」分類は、コーカソイド、ネグロイド、コンゴイドカポイドオーストラロイドとする説をはじめ、過去に様々な「人種」の分類が試みられた。しかし1950年代にはコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドといった4大「人種」分類が有力となり、且つ各「人種」分類の中でも、中東・インド亜大陸の諸民族がコーカソイドに分類された。

遺伝学と新「人種」分類 [編集]

ただし、上記のような伝統的な形質人類学に基づく分類は、分類学における厳密性や正当性を欠いていると主張する者も多く、また最近では、このような外観的特徴に基づく「人種」分類が人種差別思想に少なからず影響を及ぼしたこと、遺伝的には同じ「人種」に分類される人々が必ずしも同じ外観的特徴を有していないこと、及び同じ「人種」とされる人々が必ずしも同じ文化を共有していないことなどの問題があり、DNA分析による遺伝学が進歩したことも加わって、「人種」と言う分類法は否定され、かわりに集団遺伝学や連続的な遺伝的特徴をあらわすクラインといった概念が用いられるようになってきている。

その結果、最近の「人種」分類は人類が単一種であることを前提にしつつ、地域的な特徴を持つ集団として、約1万年前の居住地域を基準とし、アフリカ人、西ユーラシア人、サフール人、東ユーラシア人、南北アメリカ人というように、地域名称で呼ぶことが提唱されている[3]

また、人類学者の中には自然科学的な「人種」という概念を否定し、「人種」は社会的要因よって構築された社会制度であり、社会科学上の概念でしかないという説を提唱する者もいる[4]白人などの人種概念はその成立過程において多分に「非科学的」な偏見や、宗教を初めとする文化的な判断要素を含んでおり、民族と似た社会科学的な部分を持つとする論者は多い。

伝統的な「人種」の分類例(肌の色) [編集]

肌の色は実際の居住地域によって定まってくるため、膚色(ふしょく)による分類に科学的根拠は無い。肌の色や風貌と実際の「人種」との関連性がないことは最近のDNA分析からも証明されている。例えば、イラクイランなどの中東の人々や、インドパキスタンなどの南アジアの人々は、褐色の肌であるが、DNA分析によるとコーカソイド(白人)に分類される。
 

DNA分析による分類例(人類集団の遺伝的系統-1) [編集]

High resolution of human evolutionary trees

この図は多型マイクロサテライトにより求められた人類集団の系統樹である。

この系統樹が意味するところは、最初にアフリカ人とその他の集団が分岐したこと、次にヨーロッパ人とその他の集団が分岐したこと、その次に東・東南アジア人とオーストラリア人が分岐し、最後の大きな分岐として東・東南アジア人とアメリカ先住民が分岐したということである。

この系統樹で見られた主要な特徴は、従来のタンパク質多型や最近の核DNAの多型によって明らかにされた人類集団間の系統関係と大筋において一致する。(外部リンクを参照)
 

DNA分析による分類例(人類集団の遺伝的系統-2) [編集]

遺伝的近縁図

この図は世界の18人類集団の遺伝的近縁関係を23種類の遺伝子の情報をもとに近隣結合法によって作成された「人種」の遺伝的近縁図である。

この分析が証明する人類集団の系統は、(人類のアフリカ単独起源説を採用すれば)、アフリカン(ネグロイド)からコーカソイド(白人)が分岐し、コーカソイドからオセアニアン(オーストラロイド)・イーストアジアン(モンゴロイド)が分岐、そしてイーストアジアンからネイティブアメリカンが分岐した、と云うものである。この人類集団の近縁関係は上記の遺伝的系統樹と現在の人類集団の地理的配置に一致する。
 

「人種」が誕生した理由 [編集]

最新のDNA分析では、「人種」が発生した理由は、下のように説明されている。

人類のアフリカ単独起源説
DNA分析によれば、人類はアフリカで誕生した単一種である事が証明されている(人類のアフリカ単独起源説)。つまりアフリカで誕生した現生人類が、アフリカ大陸以外の諸大陸に移住し、何らかの要因で交流を絶たれ、独自に世代を重ねた結果、それぞれのDNA間に差異を生じたものが現在の「人種」である。
「人種」的境界と地理的境界は一致する(移動の妨げとなる自然環境が「人種」を誕生させた)
上述の「人類集団の遺伝的系統-1.2」も参照。
また、「人類集団の遺伝的系統-1・2」を世界地図に重ね合わせると、ネグロイドはアフリカ大陸、コーカソイドはユーラシア大陸のヒマラヤ山脈及びアラカン山脈の南西側(DNA分析によればインド・アラブ・トルコ人もコーカソイドである)、モンゴロイドはヒマラヤ山脈及びアラカン山脈の東および北側、オーストラロイドはオーストラリア大陸とスンダ列島周辺、そしてネイティブアメリカンは南北アメリカ大陸に分布することが分かる。
つまり、出アフリカを果たした現生人類の祖先が各大陸に移住した後、ジブラルタル海峡・地中海・スエズ地峡・紅海・ヒマラヤ山脈・アラカン山脈・中央アジアの乾燥地帯・ベーリング海峡等の自然環境により、それぞれ交流が遮断された地域が、そのまま現在の主要「人種」の居住地域となっている。
「人種」間の遺伝的距離と地理的距離に相関がある
「人種」間の遺伝的距離と、対象となる「人種」と「人種」が居住する地理的距離は相関がある。つまり、人類誕生の地であるアフリカに住むネグロイドと各「人種」との遺伝的距離は、各「人種」の住む地域のアフリカからの地理的距離が離れている程、大きくなる。
例:「人類集団の遺伝的系統-1・2」にある通り、アフリカ人との遺伝的距離がもっとも近いのはアフリカ大陸の隣接地である地中海沿岸のユーラシア大陸に住むコーカソイドであり、逆にもっとも遺伝的距離が遠いのは、アフリカ大陸から地理的に最も遠いアメリカ大陸に住むネイティブアメリカンである。

「人種」に対する間違った認識 [編集]

日本でも外国でも、「人種」と「民族」という言葉の意味が混同されていることが多く、間違った認識が多く存在する。以下が、典型的な例である。

ユダヤ人
ユダヤ人はセム系とされ『旧約聖書』等の記述は「人種」概念を形成する際に大いに利用された。しかし、現代イスラエル国家は"ユダヤ人は「人種」を問わずユダヤ教の信仰を中心としたユダヤ文化を共有する民族の総称にすぎない"としている。イスラエルに「移住」するユダヤ人には様々な「人種」が含まれている。
日本人
日本人については、長谷部言人のような著名な人類学者が「日本人種」の存在を主張した事もあるが、学会の主流をなす意見では、日本人は民族であり、日本人という「人種」は存在しないとされる。現在、日本人という言葉は狭義では大和民族の事を指し、広義では日本国籍を持つ日本国民の事を指す。

脚注 [編集]

  1. ^ 竹沢泰子「人種とは何か考える
  2. ^ 竹沢泰子『人種概念の普遍性を問う』他
  3. ^ 斎藤成也「人種よさらば
  4. ^ 竹沢泰子『人種概念の普遍性を問う』他

参考文献 [編集]

外部リンク [編集]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE
 
PR

2009/04/10(Fri)12:13:42

民族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

民族(みんぞく)とは一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいう。土地、血縁関係、言語の共有(国語)や、宗教、伝承、社会組織などがその基準となる。日本語の民族の語には、近代国民国家の成立と密接な関係を有する政治的共同体の色の濃いnationの概念と、政治的共同体の形成や、集合的な主体をなしているという意識の有無とはとはかかわりなく、同一の文化習俗を有する集団として認識されるethnic groupの概念の双方が十分区別されずに共存しているため、その使用においては一定の注意を要する。

翻訳にまつわる問題 [編集]

日本語の民族という言葉には二つの主要な意味内容が存在する。一方はネーション(nation)であり、もうひとつはエトノス(ethnos:英ethnic group)である。

中国古典では「民族」は一定のグループをなす人々の共同体を指す。近代的な、文化的な固有性というニュアンスでの「民族」の用例の最も早い例としては、六世紀の南斉書列伝三十五の「高逸伝・顧歓伝」中の「今諸華士女、民族弗革、而露首偏踞、濫用夷禮」(民族を氏族とする写本もある)という記述をあげることができる(なおこれは、士大夫やその子女までも中国の北朝の異民族の風俗に染まっていると述べている部分である)。しかし、この歴史書は南史編纂後は読まれる事が少なくなったと言われており、現代日本の民族概念に影響を与えている確証はない。これはあくまでも中国語における民族の語源を示すものであって、日本語の社会科学の概念としての民族をいかに定義するかの問題とは混同されてはならないだろう。

訳語としての「民族」は、nationに対するものであるとされている。しかし、西欧語としてのネーションの政治的自己意識、統合性、独立性、主権性といった概念をも含む語義とは、日本語としての「民族」は完全には一致せず、国家のなかの、あるいは国家以前の、同一文化集団、民族誌学的な意味での、文化・生活様式を基準とした集団である種族にも同じように通用される。文化的・民俗的帰属意識と政治的同胞意識は必ずしも一致しないが、日本語の民族はどちらの区分による用例かはしばしば判然としない。

この区別は、同一文化集団は容易に政治的帰属意識を獲得しうる為に日々動揺する。しかしこのことは、同一文化集団が政治的自己意識を獲得する以前からあらかじめ潜在的にすでに「眠れる」nationであるということではない。事後的に、始めからnationであったことになるのである。

なお、当初は、nationの訳語としては「種族」や「人民」もひろく使用された。アダム・スミスの『国富論』に見られるように、国民の訳も用いられた。ヘボン和英語林集成』(三版)はnationの訳語に、国民、人民だけをあげている。

もちろん、戦前において既にウッドロウ・ウィルソン民族自決権の思想などが紹介されており、早い時期から民族がnationの訳語として用いられていた点にも注意すべきである。

現代日本語では、nationは民族、国民国家国民国家、ネーションなどと強調されている側面に応じて訳し分けられる傾向にある。(よって本稿の内容も一部は必然的に国民の項と重複せざるをえない)

他方でethnic系統の語については事情は複雑であり、一般的には民族と訳されることが多いが、学術的な文脈では必ずしもそうではない。エスニック・グループは、社会科学の分野では、エスニック集団などと訳し、民族という語を避ける場合も多い。(なお台湾などの中国語圏でも、民族nation概念に対して、ethnic groupは"族群"と訳され、民族との訳語を避けることが多く、日本でも族群概念を導入した論文もある。)日常語では何の問題もない「少数民族」という言葉も、社会科学では極めて問題含みの言葉として批判されることもある。

こうした日本語「民族」の曖昧な多義性を、現代において露呈してきたエトノスとネーションの曖昧で明確な区分の難しい、複雑な関係性を表現可能な言葉だとして肯定的に評価する立場もあるが、エトノスがネイションの下位区分として導入された点を重視し、両者を訳し分けるべきだとする考えもある。しかしその場合にも、民族を、どちらの語義にひきつけて定義し、新語をどちらに当てるかには、一致した見解は得られていない。したがって社会科学的な概念として民族概念を使用する場合には、それぞれの論者がいかなる意味で用いるのかを明らかにすべきだろう。その場合、単純に原語をエトノス、エスニック・グループなどと音訳して使うという立場も便宜的ではあるがしばしば見られる態度である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%97%8F


2009/04/10(Fri)12:10:01

語族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

語族の例

語族(ごぞく)とは、言語学上、同一の起源(祖語)から派生、発達したと認められる言語群の集まり。

語族を分けたものを語派、語派を分けたものを語群という(語族-語派-語群)。

系統の異なる言語をまとめて呼ぶときは「~諸語」という(例:インド諸語、ネイティブ・アメリカン諸語、バルカン諸語)。ただし、語族か語派か語群かを問題にしないときも単に「~諸語」と言うことがある。

関連項目 [編集]


2009/04/10(Fri)12:05:55




忍者ブログ [PR]

DESIGNED BY.tokyo 6de74