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このブログは,大学・高校受験,資格試験の受験,勉強法,使用参考書,予備校,塾での指導などについて綴ったものである。また,さまざまな箇所からの役に立つと思われる情報もあつめている。

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2024/05/19(Sun)00:14:04
<結語>
幸い「現代文の勉強の仕方」スレでは、こうした現代文の勉強にまつわる迷信を取り除き、
効率よく成績を上げていける方法を探そうと、さまざまな方によって勉強法が模索されている。
受験生の方は、このスレなどを参考に、自分が本当によいと思うものを自分の責任において選択し
現代文の勉強に役立てていっていただきたい。
 
 
【註】
(1)ここで言う「文法」とは狭義の口語文法のことのみを指すのではなく
「現在の日本人が一般的に用いている言葉の用い方」ともいうべきものであって、
広い意味での「言葉づかい」総体を指すものと考えてください。
 
(2)入試現代文ではよく「客観的な読み」という言葉が使われるが、
ここでいう「客観的」とは、あくまで、「主観的な読み」を戒めるために用いられている、
元の意味から離れた便宜上の用法であることには留意しておきたい。
入試現代文の世界において「客観的」という言葉が大々的に広がることになったことには
『田村の現代文講義』の果たした役割が大きいと思うが、
田村氏はあくまで「"客観的"」と、""(クォーテーションマーク)でこの言葉をくくって用いており、
われわれが日常的に使っている「客観的」という言葉とは区別していることに注意しておきたい。
『新・田村の現代文講義 第1巻』の冒頭の説明では、「"客観的"」という言葉を持ち出したすぐ後で、
現代文における"客観的"とは、文中に根拠を求めるようにすることである
と書かれ、この入試現代文における独特の術語の意味が定義されている。

(3) 石原千秋氏は『教養としての大学受験国語』において、この入試現代文という科目の勉強を通じ(利用し)
  受験生にさらにその先へ行ってもらいたいという希望を述べている。
 
「… 「読解術」を「強化」しても、僕にはまだ大学の新入生としては不足なのだ。
では、僕が身につけてほしいものとは何か。それが文章との距離の取り方なのだ。
それは、高校国語と大学受験国語とのギャップを埋める方法でもある。
ふつう、受験国語の現代文の読解では、批評意識を持つことは許されていない。
その文章で語られていることが、あたかも絶対に「正しい」かのように読解することが求められている。
あるいは、読解の向こうにたった一つの「真実」があるかのように。
だが、この本の読者には批評意識を持ってもらいたいのである。
 では、それを実践するためにはどうすればよいのか。それは、現代文を信じすぎないことだ。
そこに書いてあるのは、一つの思想にすぎないからだ。では、どうすれば現代文を信じすぎないですむのか。
それは、現代文に対して自意識を持つことだ。自意識を持つということは、ある文章を読解しながら、
もう一方でその文章を相対化することである。では、どうすればそのような自意識を持てるのか。
思考のための座標軸を持つことだ。そして、その座標軸の中に文章を位置づけることだ。
僕は、それを思考の方法と呼ぶ。…(中略)
…この座標軸をできるだけたくさん持つこと、それが僕がこの本で言う「教養」だ。
その意味で、教養とは知の遠近法のことだと言ってもいい。これ一つしかないというのは、知的ではない。…」
(石原千秋『教養としての大学受験国語』(ちくま新書)pp.13-14. より)
 
(4)これに対しては、「入試作成者は受験生をふるいにかけるために問題を作っているのであって、
そんな小難しいこと考えて問題なんか作成していない」という志の低い問題作成者もいることは否定できない。
だが、現にこの現代文という教科によって受験生は大学受験期において必然的にある程度難しい文章を読むようになっており、
この過程のおかげで現代の日本人の知的レベルが維持されているのではないかとする見方もありうるのではなかろうか。
 
(5) ただし、これはあくまで入試現代文という科目の「枠」の中だから通用しているひとつの「ルール」なのであって、
「読む」という営為はそんなに単純なものではないことには留意しておきたい。
「読む」という行為にあたっては感覚・主観・先入見・暗黙の前提などの介在は免れえず
文の意味などというものは文法規則だけから一意的に決まるほど生易しい存在のわけがない。
結局、入試現代文という科目において正答・誤答を判断しているのは「出題者」なのである。
つまり最終的に入試現代文とは、文章の作者ではなく、出題者が問題文からそう「解釈した」内容を答える科目だと言える
石原千秋氏の著書に
「客観(選択肢)問題は文章との対応関係を見抜く力を試すもの、
記述問題は出題者と認識の枠組みを共有する力を試すもの」
という言葉が書いてあるが、これは入試現代文の特質を端的に表しているといえる。
だが「出題者と認識の枠組みを共有する」といっても、入学者を選抜する入試という過程においては、
出題者自身にしか分からないような特殊な解釈を答えるのでは、客観的基準に基づく試験になりえない。
となると、出題者は、
「現代の人の一般的な認識の枠組みや文法などに普通に従えば、この文章からはこういう内容を引き出すのが妥当だろう」
という前提のもとに、問題を作成・採点をすることになる。
これを踏まえて考え言い直すならば、入試現代文という科目は、
「『問題文のテクストを、特殊な解釈を避け、大多数の人の一般的認識枠組みや言葉づかいを前提としたならば、
この文章からはこういう内容を引き出すのが妥当だろう』と出題者が考えた(解釈した)内容を、受験生が解答する科目」
と言った方がより適切かもしれない。
受験生はこの現代文という科目の重要性を踏まえたうえで、
現代文という科目それ自体や入試現代文における読み方を絶対視しない「距離のとり方」をわきまえておきたいものである。
 
(6)このへんの事情については、以下のやり取りも参照のこと。
 
647 名前:大学への名無しさん 投稿日:03/08/15 19:17 ID:kIoRM07E
現代文と格闘が評判みたいなので買ってみたんですが
あれは、みなさんはちゃんと段落の要点を書いたりしてすすめてるのでしょうか?
この本に要点を書いていくようにとかかれていたもんで・・・
要点とか書いてたら時間かかってやばいですよねえ?
                                                                       
648 名前:大学への名無しさん 投稿日:03/08/15 19:20 ID:BijSwHqa
>>647 その作業をすることによってこそ、力がつくのではないでしょうか。
 
651 名前:648 投稿日:03/08/15 20:31 ID:BijSwHqa
>>467
その作業をキチンとやってる人は、実はそんなにいないと思います。
でもだからこそ、「偏差」値が上がるのだと思いますよ。
要するにやると良いと解ってて、人がやらないことをキチンとやる人は
「偏差」値が高くなる。とまぁ、そうゆうカラクリなんですわ。
 
652 名前:大学への名無しさん 投稿日:03/08/15 20:38 ID:tHrpC3VG
要するに現代文って、真面目に地道にやるしかない教科なんだよね。
でもそれがとてもつらいからみんな横道に逸れたがるんだろうな。
 
地道に真面目にやるしかない
でもそれがとてもつらい
めんどくさいのはイヤ
なんか楽な方法無いっすか?
「現代文には公式がある!」
神様キタ━━━━━━ヽ(゚∀゚)ノ━━━━━━ッ!!
 
…と、釣られるわけだ。
 
(7)このサイトでも紹介されている『田村の現代文講義』、『現代文と格闘する』、『現代文のトレーニング』などの参考書は
昔から難関大志望者に定評のある参考書であるのだが、
一方で「解説の文章が難しくて意味が分からない…」という意見も多く見られる。
ここには上に挙げたような、現代文が苦手な人が現代文の勉強をする際にぶつかりやすい
独特の悪循環の問題が関係しているためと考えられる。
 
【参考文献】
・石原千秋『教養としての大学受験国語』(ちくま新書)
・石原千秋『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)
・石原千秋『秘伝 中学入試国語読解法』(新潮選書)
・田村秀行『新・田村の現代文講義 第1巻、第2巻』(代々木ライブラリー)
・田村秀行『田村の総合現代文』(ライオン社)
・田村秀行『田村の現代文年間カリキュラム 第2巻』(栄光)
・竹国 友康・前中昭・牧野 剛『現代文と格闘する』(河合出版)
・『ことばはちからダ!』(河合出版)             ほか

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/2996/gendaibun/
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2009/04/25(Sat)12:56:39
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