忍者ブログ

このブログは,大学・高校受験,資格試験の受験,勉強法,使用参考書,予備校,塾での指導などについて綴ったものである。また,さまざまな箇所からの役に立つと思われる情報もあつめている。

[34] [33] [32] [31] [30] [29] [28] [27] [26] [25] [23]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2024/05/05(Sun)18:26:51
<序>
入試現代文という教科がなぜこんなに捉えがたい教科と受験生に思われているのかと言えば、
1.入試現代文という教科が受験生にどういう力を問うているのかが分からない
2.現代文の成績向上のためにどういう勉強をすればいいのかが見えづらい
というのが大きな要因として挙げられると思う。
 
<第1章 入試現代文とはどういう教科なのか?>
[(i).入試現代文で問われている力]
入試現代文がどういう教科であるかについては田村秀行氏をはじめ予備校の先生方が繰り返していることであるが、
「与えられた文章を、誰もが日常的に使っている現代日本語の「文法」(1)に従って、
 正確に内容を把握し(いわゆる「『客観的』な読み」(2))、本文から導くのが妥当だと思われる内容を解答する科目」
というふうにまとめられると思う。(3)
大学に入学した後は、みなそれぞれ独力で専門書を読み解きつつ専門の授業に参加していかねばならない。
そういった大学での授業についていけるだけの基礎的なリテラシー(読み書き能力・教養)能力を受験生が持っているかどうか、それを大学側は現代文という教科で問うていると言える。(4)
 
[(ii).テクスト分析としての入試現代文]
よく、「大学入試の現代文問題を、その著者に解かせたら間違えた」とか著者が「私はこんなことを言うつもりだったんじゃない」と言ったりとか「筆者の本心」というものをタテにして入試現代文を批判する論調があるが、これは入試現代文の特徴を理解していない発言と言わざるをえない。
こういう批判に対してはこういう疑問を返すことができる。
「でも、あなた(筆者)のこの文章を、われわれが用いている一般的な言葉づかいに従って読み解いたならば、こういう内容を引き出すのが妥当なのではないでしょうか」と。
入試現代文の内容読解に関しては、文章に表れていない「筆者自身の真意」といったものは介在する余地がない。
あくまで与えられた文章(テクスト)それ自体から、引き出すのが妥当と思われる内容を解答する(5)のがこの現代文という教科なのである。
 
[(iii).高校国語と大学入試現代文の間の距離]
大学入試現代文が難しい要因として、高校の現代文と大学入試現代文の間にかなりの懸隔(へだたり)があることも挙げられる。
これはさきほど述べた、「現代文は大学の授業についていけるだけのリテラシー能力を持っているか問う教科だ」というところと関連する。
大学は国語学・国文学だけを研究している場ではない。法学、政治学、経済学、歴史学、哲学、心理学、社会学、教育学… こういったさまざまな領域の学問が研究されているのが大学という場であり、入試現代文を出題しているのはこうした大学で研究している先生たちなのだ。
大学の先生方は入試現代文という科目で、こうした大学で現在研究されているさまざまな学問領域の文章を出題し受験生の頭がそれについていけるかどうか、その準備が受験生に備わっているかどうかを問うてくるのだ。
ところが高校の国語では、こうした大学で現在行われているような学問内容を知る機会は少ない。
それどころか、高校国語では小説などの文学作品を多く扱っていることもあって、「現代文=文学」という思い込みが受験生に刷り込まれかねない。
「現代文=文学」「現代文=小説」という思い込みを抱いてしまっている受験生は、まずその思い込みを捨てるところから始めたほうがよい。
入試現代文は、「文学の読解」ではない。大学で現在行われている学問についていけるか、その基礎力を問うているのだ。
入試現代文を、「高校国語の延長線上」ではなく「大学の初歩」と捉える発想の転換が必要だろう。


http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/2996/gendaibun/
(1)(2)(3)(4)(5)
PR

2009/04/25(Sat)12:39:45
この記事へのトラックバック
Trackback URL:




忍者ブログ [PR]

DESIGNED BY.tokyo 6de74